ドイツ連邦軍の試作戦車
頭上砲 技術実証車 VTS-1

2010/03/06;作成
2010/03/14;世界の頭上砲実験車を追加

(phot by Erwin Lindemann / Public domain) 
 

今回は、VTS-1を紹介します。

これは、現在主流となっている砲塔戦車以外の
可能性を証明するため製造されました。

戦車は誕生以来、様々なカタチが検討された結果
幾つかのスタンダードに行き着いたのです。

今回は、量産化された戦車だけでは分からない戦車の歴史を解説します。

 VTS-1は、ドイツが製造した頭上砲戦車の技術実証車である。本車は、頭上砲が戦車として適しているかを検証するため、1978年にティッセン・ヘンシェルで製造された。
 本車は、マルダー歩兵戦闘車の車台を使用しているためVTS(Versuchstrager Schutzenpanzer/技術実証型歩兵戦闘車)と呼ばれているが、あくまで戦車としての技術実証車である。


 頭上砲コンセプトの呼称は、他にもあるが本稿では頭上砲で統一した。
英;Overhead Gun 頭上砲
英;Externally Mounted Gun 外部砲
英;Roof Mounted Gun 天井搭載砲
独;scheitellafette 直訳で頭上砲架


 
頭上砲コンセプト 

 頭上砲コンセプトの特長は、乗員と弾薬庫を車体内部に配置して、旋回式の主砲のみを車体上部に設置するものである。これは、在来型の砲塔戦車対し、防御力を向上させるために考案された。
 戦車は砲塔正面が最も被弾率が高いが、頭上砲戦車なら前面投影面積を最小にすることにより被弾率を低下させることができる。被弾率の高い砲塔に乗員を配置しないので、乗員の生存性を高める利点もある。
 また、頭上砲戦車なら砲塔の装甲を省くことができるので、その分を車体前面の装甲強化にまわすことができる。Lolf Hilmes著『Kampfpanzer heute und morgen』によれば車体重量のうち約50%が砲塔と車匡の装甲によるものなので、砲塔装甲の省略は効果が大きいとしている。
 開発計画

 VTS-1は、レオパルト1を置き換える目的で始められた戦車開発計画で開発された。この計画は、予算削減のため独英共同で行われ、1972年4月からKPz3(イギリスはMBT80と呼称)として正式に始められた。この計画では、在来型の有砲塔戦車、カーゼマット式、そして頭上砲架式が検討された。

 頭上砲は、当時問題となっていた戦車の防御の解決策として期待された。1970年代前半は、成形炸薬弾や滑腔砲等の攻撃手段が進歩していたが、戦車に十分な装甲を施せば70tを超えてしまい輸送車輌や浮橋の許容量を超えてしまうというジレンマを抱えていた。
 こうした問題の解決として頭上砲は検討された。頭上砲戦車なら、その特性によりMLC60の範囲内に収めながらレオパルト2より良好な防御を実現できると期待された。また、砲身が旋回するためカーゼマット式のような戦術的制約も受けない。

 この計画では、先に前回解説したDRK(双砲身カーゼマット戦車)の技術実証車の試作を行い、その後に頭上砲架戦車の研究を行うことになった。こうしてDRKは1972年から76年にかけて研究・試作が行われたが、部隊試験で不適格となった。この時イギリスは、このままでは予定された配備時期に間に合わなくなるとして計画から離脱し、チャレンジャーの開発を始めた。

 ドイツは、続いて1976年から頭上砲架戦車の研究を始め、技術実証車の試作が行われた。今度は、フランスと共同で開発することとなり、KPz90計画と呼ばれた。 (資料を見なおしてみたところ、VTS-1はKPz90とは開発時期が重ならず、VTS-1がKPz90で開発されたとする資料が見つかりませんでした。本稿の執筆当時に筆者が思い違いをしていたようです。申し訳ありませんした。2011/06/26)
 
 
    
 試作車の製造

マルダー歩兵戦闘車 VTS-1の車体に使用された。 Photo by Heer/Dana Kazda

 技術実証車の製造は、1978年にカッセルのヘンシェル社で始まりVTS-1の名称が与えられた。車台はマルダー歩兵戦闘車をベースにしている。頭上砲は、コンセプト通りに非常に小さな前面投影面積を実現した。

車体
 車体にマルダーを使用したのは、フロント・ドライブ戦車の適合性の評価を兼ねていたものと思われる。この方式は、正面からの被弾に対し、エンジンを乗員の防御に役立てることができる。当時は、この方式を採用したメルカバの実用化により各国でこの方式が真剣に検討された。ドイツでも1984年にVTFと呼ばれる技術実証車が製造された。
 乗員は3名で、エンジンルームと主砲の間に横に並んで着座する。乗員は、主砲とは独立して配置されており、主砲の旋回方向とは関係なく常に正面を向いている。配置は、左から車長、操縦手、砲手の順である。3名の乗員にはそれぞれ独立したハッチが用意され、車体後部のランプは脱出ハッチとして使用できる。

武装
 武装はレオパルト1も使用している105㎜戦車砲L7A3であった。8発の砲弾を収納する弾薬庫は車体に有り、自動装填装置により閉鎖機に運ばれる。主砲の可動範囲は、旋回角は左右に各60度、仰俯角は-10°~+15°である。これは当時の西ドイツ軍が将来の戦車に必要と考えていた値である。
 弾薬庫は車体後部に設置されており、砲弾は自動装填装置のアームで閉鎖機に運ばえる。この方式では、主砲を12時に向けないと再装填が出来ないデメリットがある。
 VTS-1ではどのようになっているか不明だが、乗員区画と弾薬庫を隔壁で隔離し、弾薬庫の天井にブローオフパネルを設置すれば砲弾が誘爆しても乗員への被害を避けることができる。

 
VTS-1の評価
射撃試験
 VTS-1のテストは1978年の夏からメッペンのE91試験場(射撃試験を担当するドイツ連邦の施設で現在のWTD91)で始められた。試射は、停止状態、行進から停止に移った状態、行進中の各射撃条件で行われ、命中精度は実用上十分な値が得られたと言われる。命中率は70~100%であった。
 技術的問題もほとんど解決の見込みがつき、その後実用性の問題を研究するためにより詳しい実験が行われた。

運用試験
 VTS-1は、射撃試験で構造上の問題を発生しなかったにも関わらず、運用面では疑問符を付けられた。
まず、車長席から全周視界が得られないことが問題となった。これは、戦車の根本的な指揮・統制の問題を発生させると考えられた。また、車外に位置する主砲は故障した場合、乗員が装甲内部から修理することが不可能とされた。最後に、対空機銃を設置する方法は安価には済まないとされた。
 こうしてVTS-1の計画は終了した。正確な時期は不明だが、DRKの技術実証車が7両製造されたのに比べて、1両しか製造されていないので早い段階で見込みがないと判断されたのかもしれない。しかし、後の戦車開発計画は頭上砲が最有力となっており、技術的に熟成されるまで保留とされたのかもしれない。
 ティッセン・ヘンシェルが製造したこの車両は、現在はコブレンツのWTS博物館に収蔵されている。
 
 
 VTS-1と同時期に、スウェーデンもマルダーをベースにした頭上砲架実験車をHagglundとBoforsで製造したが、こちらは頭上砲の形状が異なっている(画像)。この実験車についての詳細は不明で、こういった車両が存在するという程度しか分からない。
 
 
 
 頭上砲コンセプト その後
 結局、KPz3及びVTS-1で検討された案はレオパルト2に対して、顕著な性能向上が見られないとして終了した。しかしその後も頭上砲戦車は、ドイツで新たな戦車計画が始まるたびに検討された。

KW90とPzKW2000での研究
 この計画の後、1980年代にマルダー歩兵戦闘車を更新する目的でKW90計画が始められマルダー2試作車が製造された。この時、火力支援型として頭上砲型搭載型が要求された。これに応じてティッセン・ヘンシェルは頭上砲搭載型の縮小模型を制作したが、途中で頭上砲型の要求は廃棄され、さらに冷戦終結による軍縮と東ドイツ併合による経済状況の悪化によりKW90自体が中止された。同時期には戦車の更新計画、PzKW2000が研究され頭上砲戦車が検討されていたが、こちらも中止された。

NGPでの開発
 1990年代になると、レオパルト2とマルダーを更新するためにNGP(新型装甲プラットフォーム)計画が行われた。これは、コンポーネントを共通化した戦車と歩兵戦闘車を開発するものであった。この計画でも頭上砲戦車が検討されEGS( 画像)呼ばれる技術実証車が製造された。しかし結局はNGPも採用されず、その後プーマ歩兵戦闘車が採用された。

 こうして2010年3月現在、頭上砲戦車はドイツで実現しておらず、世界でも知られている限りでは量産化に至たった国はない。しかし無人砲塔はプーマ歩兵戦闘車で採用され410両の調達が決まっている。これは、車体に乗員を納めて車内から無人の砲塔をモートコントロールするものである。無人砲塔ではさほど重量は節約出来ないが、被弾率の高い砲塔に乗員を配置しなくて良いので生存性は向上する。

 
無人砲塔を搭載したPUMA歩兵戦闘車 Photo by Rheinmetall

 
 レオパルト2は開発から30年がたち、ドイツでは後継車の開発が必要な時期にさしかかっている。現代は、VTS-1の時代とは想定される戦闘環境と技術力が大きく変化した。こうした前提条件の変化により“レオパルト3”が頭上砲或いは無人砲塔戦車として実現することは十分有り得るように思われる。 

 
 VTS-1 諸元
乗員3名(車長、操縦手、砲手)
全長 6,79 m
全幅 3,24 m
全高 3,05 m
重量 28,4 t

動力 MTU 833 Ea-500 6気筒ディーゼルエンジン600 PS(2200 U/min)
最高速度 75 km/h
出力重量比 21.3 PS/t
最大航続距離 520 km
 
 
参考資料
書籍
江畑謙介 「1990年代の戦車」 株式会社戦車マガジン 『戦車マガジン1982年3月号』
F.M. von Senger und Etterlinkak『Tank of The Word 1983』
Lolf Hilmes 『Kampfpanzer heute und morgen』
Lolf Hilmes 「Battle Tanks for the Bundeswehr - Modern Tank Development、1956-2000」『ARMOR Januaru-February2001』

ウェブサイト
wiki.de VTS-1
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おまけ
世界の頭上砲実験車 

アメリカ テレコンダイン・コンチネンタル製 AGS
同社は、この砲塔をレオパルト1の車体に搭載することを提案していた。
頭上砲コンセプトは幾つかの国で検討された。分かるで限りで以下に掲載した。

イギリス
▲コメットの車体を使用したComres75が1968年に試作された。
FMBT95プログラムでのコンセプト・スタディ。

フランス
▲KPz90計画でフランス側もコンセプト・スタディを行い
AS12、AS22、AS31、AS40と名づけられた計画案を作成した。
(何処かで画像を見たけど忘れてしまった。思い出したらリンクを貼ります。)

アメリカ
▲FCCV/HFM/ASMロプログラムで、多数のコンセプト・スタディが行われた。
メーカー不詳のプロトタイプHIMAG(High Mobility Agility Test Vehicle )(1975年?)データ
AAI社のプロトタイプ RDF/LT (Rapid Deployment Force Light Tank)(1980年)
M1 TT (Tank Test Bed)(1984年)
▲テレダイン・コンチネンタルのプロトタイプAGS(1984年)
 (TCMはAGSの頭上砲をレオパルト1に搭載することも提案していた)
 
スウェーデン
▲UDES17コンセプト・スタディ
▲UDES19コンセプト・スタディ(1982年)
UDES XX-20技術実証車の製造(1982年)

ロシア
T-95 進捗状況不明

ヨルダン
ファルコン 試作車製造
 
 
 
Falcon Turret  Phot by KADDB


ストライカーMGS
戦車では無いが、アメリカのストライカーMGSは
105㎜クラスの頭上砲を備えた装甲戦闘車両としては、恐らく唯一の量産化。(2010年3月現在で)


詳しい話はウィキペディアで→ M1128ストライカーMGS


 
日本における頭上砲の検討 
  三菱重工業の元社員で装甲戦闘車両の開発に携わられた林磐男氏は、PANZER誌で連載された『戦車技術者の備忘録』で、74式戦車を開発する際にカーゼマット戦車と頭上砲戦車が検討されたと記述している。
 それによれば、この時期はSタンクからの刺激や、サバイバビリティの概念が出始めたためケースメイト式や背負が異常な関心を集めたとしてる。しかし、開発は以下のように進んで行った。「日本でも、随分とこの形態の検討が行われたが、ケースメイト式は運用上の疑問が今ひとつはっきりせず、背負式は構造上の問題点、特に脆弱性が掴み難かった。結局は、実績も多いし最も汎用的なコンベンショナル砲塔が、基本形態として固まって行った。」こうして、74式は在来型の砲塔戦車となったそうだ。
 もしかしたら90式やTKXも、研究段階で検討されたかもしれないが情報は得られなかった。
 
 
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あとがき
ふーん
こんな戦車もあったんだ。
現在ある戦車のカタチは、これまでの戦闘環境と技術に対応したものなので
状況が変化すれば、頭上砲戦車や他のカタチが採用されるかもしれません。
ところで
なんで、このページは背景が緑色になったの?
最近、気がついたんだけど
背景が赤ってあんまり落ち着く色じゃないよね。
文章ゆっくり読めないと思って緑色にしてみたの。

目に優しい?
ん~
よく分かんないけど垢抜けない色かも。

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pk510 名城犬郎 pk510@hotmail.co.jp