ドイツ連邦軍 戦車史
国産戦車編

作成;2010/04/01

1965年 最初のレオパルト1の納入
photo by Heer 
 
前回の輸入戦車編に引き続き
今回は、ドイツ連邦が国産した戦車の紹介です。
 このページの文章及び画像は、ドイツ連邦軍の公式サイトの「装甲車両の50年」からの転載しました。文章は赤枠内が公式サイトからの引用部分です。改行、小見出し、訳注は訳者の手によるものです。それ以外の資料を使用した箇所は、個別に記載してあります。
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国産戦車 
レオパルト1

AMX30とレオパルト
 
開発
 M47とM48は、様々な点でドイツの理想と異なり要求を充たしていなかった。このため陸軍は1956年には将来の戦車について具体的な要求を出していた。アメリカ戦車は、中央ヨーロッパには重すぎ、幅と高さも大きすぎた。それだけでなくドイツの工業は独自の戦車開発と製造を行える状態に回復してい。(訳注※外国製戦車を導入した経緯と矛盾する気もするが、開発が終わる頃には製造も可能な状態に回復するという意味だろう)
 1956年に要求されたのは30tの戦車で、フランスと共同で開発するとされ、後にイタリアもこのプログラムに参加した。しかし、ヨーロッパ標準戦車の夢は挫折しすぐに現実に引き戻された。フランスとドイツは1960年から、インターフェイス(武装や砲塔直径等)の共通化を取り決めることも無く、それぞれ独自のプロトタイプを製造した。共同の試験及び評価も挫折し、1963年には最初の国際戦車プログラムの終りは明らかとなった。注目に値するのは、その後12カ国がレオパルト1が導入を決めたことである。挫折から始まったが、標準戦車を実現したのである。
 レオパルト1の開発では、研究において当局と企業は価値のある経験を蓄積した。60年代始めには十分な予算措置を講ずることができたため、コンセプト・ワークとコンポーネント試験を幅広くシステマチックに実行できた。シリーズ生産前には80両のプロトタイプと先行量産車が製造された。

生産
 1965年から76年までに、連邦軍は2437両のレオパルト1と様々な派生型を調達した。1988年からは、1300両弱が熱像暗視装置を含む攻撃力が向上したレオパルト1A5に改修された。38年間使用された後、2003年から新しい安全保障状況により、レオパルト1は部隊で使用されなくなった。
 にもかかわらず、今日(訳注※2006年の時点)でもまだ9カ国(ブラジル及びチリ等)がレオパルト1を大きな満足と共に使用している。

評価
 レオパルト1は、敵のT62と大雑把に比較して機動性は明らかに優位であるとみなされ、防御は明らかに劣っていると判断された。火力は有利であるとされた。

 
オマケ1 レオパルト1のサブタイプを大雑把に分類
レオパルト1は、生産バッチごとにり改良が加えられ、
生産終了後も改修が行われて常に戦力の向上が試みられました。


NATOのパレードにて
レオパルト~レオパルト1A3前期生産型までは鋳造砲塔が使用された。


レオパルト1A4
レオパルト1A3の後期生産型とレオパルト1A4は、中空装甲を用いた溶接砲塔が導入された。


レオパルト1A5
レオパルト1A5は、新規製造ではなく既存のレオパルト1に
スペースドアーマを取り付けてFCSを改良したもの。
搭載されたFCS、EMES18はレオパルト2のEMES15から派生したものである。
砲弾もDM23、DM33が採用されて性能が向上した。
この改修は、最初の1~4バッチまでの車両に施されたので
溶接砲塔のA5は存在しない。
  
上記のレオパルト1~A5という分類は実は大雑把なもので、正確には無線機や暗視装置等の違いで更に細かい分類がある。例えば、レオパルト1A2に、SEM 80/90VHF無線機を搭載するとレオパルト1A2A2になるといった具合。 
   
オマケ2 まだ売れているレオパルト1
  
photo by KMW
 レオパルト1は2003年に全車が退役したが、その後も採用を望む国は存在する。ブラジルは、ドイツ連邦軍のデポに保管されていたレオパルト1A5を220両購入し、KMWで修理・近代化作業受けて配備することを決定した。引渡しは2009年10月22日から始まり、2012年までに全車が引渡される予定。 (KMW
     
   
Kpz70

120㎜砲を装備したドイツ軍仕様のKpz.70(MBT70)
Photo by U.S. federal Govemment.
 レオパルト1は、1965年からM47を置き換えた。そして70年代からM48を置き換える後継車を導入するとして、防衛省は1963年8月にアメリカとの戦車の共同開発を決定した。少なくとも、MBT70/KPz70について共通の要求と車両コンセプトを持っていた。

 1966年から両国は、それぞれ6両ずつのプロトタイプを製造して試験を行った。KPz70は複雑さにより莫大な運用コストがかかり、兵役義務者から成る軍隊の兵器システムとしては使用が不可能であり採用されなかった。こうして、KPz70プログラムは1969年に中止された。
   
    
レオパルト2

レオパルト2
開発
 KPz70プログラムの中止の後に、1970年にドイツでは国家の実験開発とKPz70プログラムの結果から好ましい組み合わせが模索された。
この結果、1972年にレオパルト2のプロトタイプが現れた。最初のプロトタイプはまだ105㎜砲を搭載していた。
 レオパルト2の開発に更なる重大な影響を与えたのが、1973年のヨム・キプール・戦争の結果であった。このとき、装甲防御について明らかになったことが分析された。こうして2年をかけて防御コンセプトが改良された。1976年には新しい防御テクノロジーで、レオパルト2AV試作車が2両製造された。

 2両の試作車体と砲塔3基は、1976年9月から1977年1月にかけてアメリカでXM-1と比較テストを受けた。この間に、ドイツでは量産化が決定していた。再度の技術コンセプトの改良と最適化を受けた後に、1979年10月に総数2225両のレオパルト2が引き渡された(訳注※2125両の誤記と思われるが、派生型を含む数字かもしれない)

評価
 80年代には、敵のT-72と比較してレオパルト2は全ての重要な戦闘基準で勝っていた。もちろん、より大きい寸法、14t重い重量、高い安全性により調達価格は高かったが。
 またレオパルト2は、システマチックに開発され、大規模な部隊試験で完熟した兵器システムで高いパフォーマンスを発揮した。使いやすい乗員配置で運用コストも比較的低くなっている。
 成功したシステム・コンセプトは、包括的なシステムの周辺機器(特殊機器、訓練手段等)そして、信頼のおけるアフターサービスを有していることにより、各国の調達試験で勝者となった(スイス、スウェーデン、ギリシャ等)。今日では、11カ国がレオパルト2を使用している(訳注※2006年の時点の話。2010年現在ではドイツを含む16カ国が使用している)

今後
 今後は、連邦軍の戦車を約350両まで削減する計画“新しい軍隊(陸軍2010)”は、レオパルト2の二つの戦力向上型、A5とA6と更なる近代化型は機械化部隊の根幹として2025年頃まで使用する。
 この点で重要なのは、レオパルト2以降の戦車開発が不成功に終わった、あるいは中止されたということである。
この文で気になるのはレオパルト2を2025年頃まで使用すると述べている箇所です。
この予定に変更がなければ、そろそろ後継戦車の研究が始まる時期です。

因みに同じドイツのプーマ歩兵戦闘車の場合は、研究から量産化まで15年かかっています。1995年に研究が始まり、2002年に作戦要求書提出、2005年に最初の試作車が完成、2006年からトライアル開始、量産車の引渡しは2010年からといった具合です。

ただ、最近は戦車の優先度が冷戦期程は高くないので、老朽化を承知でもう少し長く使い続けるかもしれません。
オマケ レオパルト2のサブタイプを大雑把に分類


レオパルト2A5
レオパルト2~A4までは生産時期によるマイナーチェンジであった。
A5は既存車両への改修で、外見上の識別点は砲塔に増加装甲が装着されたこと。



レオパルト2A6
こちらも既存車両への改修で主砲を長砲身化したもの



レオパルト2A6M 
地雷に対抗した構造上の強化が図られている。
操縦手は、地雷の衝撃が伝わらないようにハーネスタイプのシートに着座する。
すでに何度か触れた話ですが
ドイツ連邦軍は、今後、平和維持活動に対応したレオパルト2PSOへの改修を進める予定です。
 レオパルド2PSO エンジンデッキが変更されていない初期のデモンストレーター
Photo by KMW
 2009年5月クラウス・マッファイ・ベクマンは、ドイツ連邦軍がレオパルト2PSOの調達を計画していると発表した。これは既存のレオパルト2、150両にPSOコンポーネントを組み込むもので、調達は2011年から1018年にかけて行うとしている。まず50セットがUrbOp (Urban Operations)の名称で調達される。
 正確には、PSOコンポーネントを元にしたキットとしているので、ドイツ連邦軍の要求に合わせて、既に発表されているデモンストレーターに変更が加えられるものと思われる。 
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あとがき
レオパルト2は、後15年は使うんだ。
ドイツはこれまで、kpz3Kpz90、PzKW2000、NGPと呼ばれる戦車開発計画を行いましたがどれもレオパルト3となることは出来ませんでした。

Kpz3とKpz90は、レオパルト2と比較して意味のある性能向上が見られなかったため中止されました。Pzkw2000は、計画中に冷戦が終り戦闘環境が変化したためです。
NGP中止の理由は、調査中です。
連邦軍公式サイトは、歩兵戦闘車の歴史も解説しているので
こちらも折を見てご紹介したいと思います。

それでは、今日はこのへんで・・・
また来てねー☆
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